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「ホテル・ルワンダ」のレビューの続きです。
「緑の丘の国」ルワンダ。その美しい景観からアフリカのスイス、と呼ばれるこの国には、ツチ族とフツ族というふたつの主要民族が存在する。ツチとフツ。民族が異なるという決定的な証拠はなく、背格好も容貌もほとんど区別はつかないそうだ。
五百年以上も前からツチは支配層を形成し、フツは支配される側に就いて農業などの労働に従事してきた。
19世紀末にルワンダはドイツの植民地となるが、第一次世界大戦におけるドイツの敗北後、ルワンダはベルギーに「戦利品」として引き渡される。 ベルギー人はルワンダを効率よく統治するため、ツチ族のエリート層を利用することを思いついた。ツチ族のなかから従順なカトリック信者を王に選び、国王を模範として国民をカトリックに改宗させていった。
指導者層であるツチ族の優越が「学校で教え込まれ、教会で説かれ、ルワンダ人の日常生活のなかで目に見えない方法で確立されていった(ルセサバギナの著書より)」。 ツチが優れていてフツが劣っているというかたよった思想が、他国の介入によって増幅され、国民に浸透していく。ベルギーのおこなった分断統治が、国民の差別意識とコンプレックスの双方を助長させてしまった。
そして、他国の歴史でも幾度もみられたことだが、ベルギーのもたらしたカトリックの教えは、フツに信仰だけではなく、抑圧に立ち向かう力をも与えはじめた。ルセサバギナはそう考えている。信仰は虐げられた者に、支配に抵抗する勇気を与えた。しかしそのままでは済まなかった。もともと人数で上回っていたフツはツチを憎み、逆に排斥しようとするようになる。フツの勇気は肥り続けて虚栄となり、傲慢となり、フツが正義でツチを虫けらのように見下すファシズムに変貌していく。
人類の歴史の、闇の側面の不気味な実験を見ているかのようにことは進んだ。
過去の屈辱の歴史が憎しみの背中を押す。 ようやく強者の側に立てたフツ族の歓喜は、権力を滋養として、やがて大量殺人に転ずる憤懣を貯めていく。支配の甘露を味わった民衆は、隣人であるツチを野菜でも切るかのように切り刻んで何も感じない集団になっていく。
1959年「フツ革命」が起り、ベルギーと国連はルワンダをフツの政府に引き渡すとさっさと国から出ていってしまった。 支配者と抑圧されていた側の力関係が、昼と夜が引っくり返った。ここから悲劇が加速する。
追い出されたツチの若者たちはRPFと呼ばれる反政府軍を組織してフツを攻撃するが、首都キガリでは多数のフツとともにツチの人々がまだ暮していた。 1994年の4月6日の夕方。フツ政府の大統領の乗った飛行機がRPFの携帯ミサイルで撃墜される。それを契機に、フツ族のラジオ放送RTMLが「ゴキブリ(ツチ族のこと)を殺せ」と叫びはじめる。そして、80万人の生命が失われるに至る殺戮がはじまった。
100日間。水や電気を断たれてホテルのプールの水を分け合って飲み生命をつないでいく。妻には、いざというときには(追い詰められたら)子どもたちと一緒に屋上から飛び降りろと言い含めたという。鉈で切り刻まれるよりはずっとましだから。 ポールは支配人として培ってきた人脈を頼り、別回線のFAXで世界中に電話をかけまくる。それで殺人者たちの突入を阻止できたこともあったが、ほとんどの説得は徒労におわる。 それでも彼はあきらめなかった。電話をかけ手紙を書き、兵士や将校には笑顔をふりまいて話しかけた。ホテルマンとして、当り前のことを続けた。
「当り前のことを守ろう」という意思を持ち続け得た、その気持の強さに敬服する。それでも殺される寸前までいきながら、生き永らえたのは幸運としか言いようがない。(つづく)
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