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危険運転により一人息子を亡くした母親の戦いを描いた実話に基づく話。
フィクションではないので、物語の円満解決にはならないが、被害者の心情が強く伝わってくる作品となっている。
加害者は飲酒、速度違反、無免許、信号無視、無車検、無保険で警察の検問逃れを図るために暴走。そして、死亡事故を起こす。
当時の法律では業務上過失致死罪に問われ、5年以下の懲役、50万円以下の罰金と遺族が納得出来るだけの刑罰が問われない。
加害者が保険にも入らず、お金が無ければ、遺族は泣き寝入りに近い状態になる。
益々、遺族は納得できないと思えます。
映画の主人公である圭子は納得できず、刑法改正に向けての運動を起こし、危険運転致死傷罪制定まで辿り着く。
悪質な運転者への厳罰化の道が開かれることになり、被害者感情への考慮の一歩となった。
ここまででも、映画として起承転結は成立しており、遺族による行動が新しい法律を生んだ事で「一応の納得」という展開で結びとすることも出来たのだろうが、この作品の核はこの後にあると私は感じました。
約3年の刑を終え、加害者が出所し圭子の元へ謝罪に訪れる。
加害者は涙を流し、土下座し、何度も謝罪の言葉を繰り返す。その場面からは加害者が自らの行いを悔い、心から謝罪をしているように感じられる。安っぽいドラマならば、加害者の姿を見て、謝罪を受け入れ、罪を許す場面になるのかもしれない。
しかし、圭子から寛容の言葉は出てこない。
謝罪して楽になったのはあなただけだと、加害者に言う。
なぜ3年で出てくるのだ。10年でも20年でも刑務所に入っていろ。
息子は還ってこない。
止めは、あなたが悔いて償うことを20年も続ければ、許すことは出来ないけれど認めてはあげる。と言う。
厳しい言葉かもしれないが、遺族の無念の重さが伝わる。
その後、加害者は姿を消してしまう。
圭子と加害者とのやり取りを聞いていた記者が、圭子に言う。
あなたが加害者を追い込んだのではないか。圭子の言い方は酷過ぎると。
そして、自分たちが加害者になることもあると。
加害者になる可能性があるから、加害者を執拗に攻めるべきではない。
との意味を込めて言う。
圭子は自分の言葉を自覚しながらも、記者に言う。
被害者には何の落ち度もなく、何の過ちもない。それなのに命を奪われ、加害者は生きている。
記者の言葉は他人の言葉。
被害者やその家族の無念の奥底を真に理解することなく、正義や物わかりの良さを振りまく。
・・・法務大臣を死神と呼んだ某メディアを思い出しました・・・
被害者の憎しみや悔しさは一生消えないのだと思います。
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