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絶望的な映画は数あれど、ここまで希望を見出せない映画も珍しい。 どんなに救いのない展開でも、きっとラストには希望の光が差すことを信じてやまなかったオイラは、この作品の冷酷な結末に呆然となった。 これが、ネオレアリズモ。これが、現実。 単なる「映画」では済まされない。現代にも通じる恐怖と絶望が、この作品には描かれている。
「仕事」とは何だろう。生き甲斐、夢、自己実現・・・人によって、仕事を選ぶ理由、する理由は様々だと思う。だが、何よりもまず重要なことがある。
「生きるため」「食っていくため」
ということだ。どんな仕事でも、この部分だけは絶対に共通している。生きるため、食っていくための仕事。仕事がなければ、人は社会で生きてゆくことすら出来ないのである。
だが今の時代にそれを理解している若者が、果たして何人存在しているのだろうか?
偉そうなことを書いたが、オイラも全くわかっていない人間の一人だった。大学を卒業し、オイラは念願かなって憧れの職業に就くことができた。子供のころからの「夢」。だが、それはしょせん子供の夢だったのだ。
「やりたいのと、やれるのは違う」あの宮崎駿氏が語った言葉である。シンプルな言葉ながら、これは絶対的に正しい。どんなに憧れが強くても、人には適正というものがある。向き不向きというものがある。生きて行ける世界と、そうではない世界があるのだ。
「その仕事で、自分は生きてゆけるか」
それを考えずに、浅はかな「夢」という幻想に酔った結果、オイラは早々に退職する結果となった。
幸いにも何とか新しい就職口は見つかったので路頭に迷うことはなかったが、幼いころ夢見、憧れた自分とは程遠い生活を送る結果となった。待っていたのは絶望と後悔の日々。何故もっと現実を見なかったのか。何故もっと自分について真剣に考えなかったのか。何故もっと、何故もっと・・・。
だが、本作を観て考えが変わった。
「甘えてんじゃねぇこの青二才が!テメェなんざ全っっ然恵まれてるじゃねぇか!」
「生きてゆける」「食ってゆける」ことのありがたさ。それどころか、気ままに映画を観、気に入った作品はDVDまで購入している自分。いったい、何が不幸せなんだ?生きるか死ぬかでもがいている人間を目の前にしても、貴様は本当に同じことが言えるのか?
恥ずかしかった。とにかく自分が情けなかった。オイラにとっての不幸は、理想と現実のギャップなどではない。「ありがたい」ことを「当然のこと」としか思えなくなっている、腐った人間になりかけていたことこそが不幸だったのだ。
「生きるため」「食っていくため」・・・そんなの当たり前じゃん、という方も居られるかもしれない。だが、周りを見てほしい。その日の食事にありつくだけでも精一杯という人々が、この国だけでもいったい何人存在することか。理由は様々だろうが、これは紛れもない「現実」である。
「ネオレアリズモ(新写実主義)」。1940〜1950年代にかけて作られたイタリア映画はこのような名で分類されるが、これは何も当時のイタリア社会に限った話ではないのだ。現代の、この日本という国でも十分に起こり得る、いや、既に起こっているであろう物語である。これから就職活動や転職活動を始めるという方は是非観てほしい。「仕事」というものの意味を、まずはじっくりと考える良いきっかけになると確信できる。
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なんだかちっとも映画レビューになってない気がしたので(笑)最後にちょっとだけ補足を。
「希望のない映画」と書いたが、それでも唯一救いがあるとすれば、ラストで握られる父と子の手であろうか。周りが理解を示さなくても、息子は父を愛し続ける。どんなに過酷な状況であっても、そこに見える、一筋の「愛」・・・それだけが、唯一の希望の光としていつまでも胸に残った。
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